神様ってなあに

古代文明

”神様とは何ですか?”こう聞かれた時に答えられる日本人は一体どれくらいいるのだろう。
近頃は人々の意識の変化やスピリチュアルブームも手伝って一昔前に比べると目に見えない世界の話題もかなりフランクに話せるような雰囲気になってきたと感じます。
それでもまだまだそういう話が苦手だったり、自分や身近な人の体験談になると受け付けられなかったり、自分にはわからない世界だと感じる人も多いのではないかなと思います。
もちろん自分が体験した事の無い世界を想像することは簡単では無いと思いますし、その世界が得体の知れない未知の領域なら尚更本能で関わりたくないと感じるのは自然なことだと思います。
しかし本当にそうなのでしょうか?
目に見えない世界は存在しないのでしょうか?
存在するとしたらそれは一体どこにどのような形で?

日本人は万物に神様が宿るという精神をご先祖様から受け継いでいます。
大晦日にはお寺に鐘を撞きに行き、元旦には神社に初詣に行きます。
困った時には神頼みをします。

誰に?

みんな一体神社で誰に手を合わせているのでしょうか?
自分の将来、家族の健康、幸せ、大切な願い事を託している相手はどこの誰なのでしょうか。
神社で祀られている神様達は姿は目には見えません。
でもきっとそこにいらっしゃるんだろうな、という事をみんな心の奥底ではわかっているんだと思います。
物質至上主義に傾いた現代でさえコンビニよりも神社仏閣の方が遥かに多く、その数約三倍です。
戦争や開発で失われていった神社仏閣も沢山ありますが、それでも長い間守られて来た事には理由があるはずです。
先人達はその理由を肌で感じていた事と思います。

ところで、人間は潜在意識と顕在意識という二つの意識を持っている事はご存知でしょうか。
目に見えない世界を視るためには主にこの潜在意識の働きが必要になってきますが、環境や政策など外的要因によって現代人の多くがこの潜在意識を使えていない状態にあります。
先人達はこの能力をみんなが当たり前に使えていて、神様も昔からずっと同じように存在していたのですが、変わったのは私達人間の意識の在り方です。
私達の方が神様の存在を捉えられなくなってしまったのです。

ではその神様とは何なのか。
今から私の経験に基づいた持論を簡単にですが述べたいと思います。

神様とは”エネルギー”です。
宇宙に存在する法則、精霊、自然そのもの、そして今を生きる私達まで命をつないで下さったご先祖様たちです。
既に耳にされた事もあるかと思いますが”周波数”です。
私達人間を含め、この世界に存在するありとあらゆるものが個々に振動し波を放っています。
それを”波動”と呼びます。
波動は同じ物を引き寄せ合い共鳴する特性があります。

神様とは状態の事です。
相反する二つのエネルギーが”調和している状態”の事です。
陰と陽、天と地、光と影、月と太陽、男と女、海と山。
火と水と書いて”カミ”と読みます。
人間の体の70%は水で出来ていて体内で熱を作り出し体温を保っています。
こう考えると人間の身体そのものが神様と同じ条件を満たしている事になりますね。
神様はこの世界の創造主で、それを地球で具現化する為に生み出されたのが人間だという話もあります。
しかしここで言う世界の創造主としての神様が何者でどのように人間を生み出したのかまでは今の私にはわかりません。
それでも、人間が顕在意識と潜在意識の両方の能力を余す事なく使えるようになったらこの地球で叶えられない事は無いだろうと考えています。
そうするとその状態はこの地球において創造主としての神様と同じ条件を満たしている事になると思います。

人間が調和の状態にいるとあらゆる物事がスムーズに進みます。
考えている事が現実になります。
願いが叶います。
タイミングが合います。
私が最も重視しているのはこの”タイミングが合う”という状況です。
タイミングが合うという事は、一つの物事に対して二つ以上の同じ事象が発生する”シンクロニシティ”も起きてきます。
奇遇、同時多発性、偶然の一致の事です。
これこそが神様からのメッセージだと考えています。
この状況は普通では無いからです。
人は普通では無い事を奇跡と呼び、それを神様の計らいだと考えます。
シンクロニシティが起こるのは奇跡が起きている事と同じです。
しかしそのシンクロニシティを起こしているのは他でもない自分自身なのです。

私は神様の声は聞こえません。
天使のような姿や白髭のおじいさんのような姿を見た事もありません。
本当の神様は自分で自分の事を神様だと名乗りません。
姿も見せません。
語りかけるとしたら、姿を見せるとしたら、それは自然の姿で現れます。
太陽、月、星、雲、風、石、草木花、水、光、生き物。
神様は決して人間を脅しません。
言うことをきかないと悪いことが起きるなんて事は言いません。
人間がこわくて悲しい気持ちになるような事は言いません。
傷つけません。
絶対に。
言うとしたらそれは悪魔です。
神様のふりをした悪魔です。
人間を脅し、命令しコントロールし、利用しようとする悪魔です。
神様と居るはずなのになぜかこわくて苦しくて不安な気持ちになるならそれは神様ではなく悪魔です。
神様がいるなら悪魔も同じように存在します。
仏教もその他の宗教も同じです。
自分だけを信仰しろ、他の信仰の元へ足を踏み入れるな、関わるなと言ってくるものは全て悪魔です。
人間同士を分断し争わせるのはいつでも悪魔の仕事です。
本当の神様はどの国の人もどんな宗教の人もみんなが仲良くしてくれたら嬉しいはずです。
それはちょうど自分の子ども達が仲良く遊ぶ姿を微笑ましく思う親の気持ちと同じです。

では本当の神様とは?

私の思う本物の神様は、いつでも優しく見守ってくれて思い出すとあったかい気持ちになって笑顔になるようなそんな存在です。
私がきちんと自分の力で自分の人生を生きていけるように普段はそっとしておいてくれるけど、困った時には手助けをしてくれて道を外れて迷った時は正しい方向を照らして導いてくれて危ない時には必ず守ってくれて辛くて悲しい時はそっと寄り添ってくれて自分の間違いを認め正した時には褒めてくれて会いにいくと大歓迎してくれる。
その姿はまるで自分の子どもの健やかな成長と幸せを願う親そのものです。
本物の神様の最大の特徴は人間の自立心を促すところです。
全ての判断を人間に委ねます。
自分の頭で考えさせ、行動させ、その行いに対して責任を持たせます。
全ては自分次第なのです。

それでは偽物の神様とはどのような存在なのでしょうか。
偽物の神様の最大の特徴は支配欲が強いことです。
常に称賛を求め、階級を作りたがり、ああしろこうしろと意見をしてきて、隠し事が多く、ルールに厳しく、自分への依存を促し人間の思考を停止させて自立心を奪います。
従わない場合は不幸へ導き、時には暴力、殺人さえ犯す事もあります。
その姿はまるで過干渉でヒステリックな逮捕案件のただの毒親です。
しかし毒親あるあるで、外面を取り繕ったり言葉だけは綺麗事を並べるのが得意なので見破られない事も多いです。

もし自分が神様だと思っていたものが実は違ったのかもと思っても大丈夫です。
気づいたらそこから変えていけるからです。
気づいたら、自分がどちらを選ぶか決める事が出来るからです。
もしも、何かおかしいな?と思ったら心の中で私の本当の神様を思い出させて下さいと祈ってみて下さい。
きっとあなたを見守ってくれている神様たちが目には見えないけれども優しく包みこんでくれるはずです。
そして自分が本当に望むなら思い出すヒントを授けてくれます。

自分の思う神様仏様に対して心の中で違和感があるのならその心の声を信じてみて下さい。
いつだって心の声が一番正しいです。
どうか自分の中の心の声を大切にしてあげて下さい。

そして、本来は自分自身こそが奇跡を起こせる存在だった事を思い出し、その力を使って理想の未来を描いて引き寄せ、神様達に見守られながら自分で自分の人生を創造し楽しんでいきましょう♡

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