古代文明研究家の天天です!
2023年に公開されたジブリの「君たちはどう生きるか」を観ました。
宮崎駿監督は前作の「風立ちぬ」以降に引退宣言をされていたようで、しかしそれを覆してこの映画を制作されたとの事です。
さらにこの映画は事前の宣伝もせず、スポンサーも付けずに公開に至りました。
今の世の中は、真実を述べられると困る人達が一定数いるのですが、スポンサーを付けないという事はすなわちどの方面にも忖度する必要がないという事です。
これは一体何を意味しているのでしょうか?
私はこの映画には全日本人に告ぐ宮崎駿監督からの熱い思いが込められているように感じられました。
宮崎駿監督はこれまでにも社会に対するメッセージ性の強い作品を数々生み出されて来ましたが、今回の映画にはそれらを上回る、云うなれば放送ギリギリの内容を盛り込まれているのではないかと思いました。
それは何かというと日本人の本当のルーツについてです。
教科書ではふわっとしか習わない縄文人の成り立ちについて、弥生へ移り変わっていく間のこと、そして旧石器時代から連なる縄文と弥生の血を引く現代の私たちに向けての問いかけだと思うのです。
私たちのDNAの流れがどこから来ているのか、私たちは何者なのか。
記紀や教科書では探ることの出来ない物語をこの映画は教えてくれているのだと思います。
私がこの映画を観たのは7/14の公開日から三日後の7/17の事でした。
実は私はこの映画の存在を全く知らず、知人からこの映画を公開日の初日に観にいこうと誘われて初めて知りました。
しかし当初はなぜか気乗りせず、一度断ったのです。
ですがその後知人から映画についてのURLが送られて来ていてそれを読むと、映画タイトルの「君たちはどう生きるか」という物語の構想の元になった小説の作者がアイルランド人だと書いてあったのです。
私はこれを読んだ瞬間に”観る”と決めました。
なぜなら、アイルランド人(ケルト民族)と日本人は源流が同じ、という話を目にした事があったからです。
私はアイルランドを旅した事があるのですが、その時にその他の海外(約30カ国)では感じた事のない特別な感情をアイルランドに抱いたことがとても印象に残っていた事も理由の一つです。
アイルランドへは一人で行ったのですが、通常海外一人旅だとトラブルに巻き込まれないようにある程度気を張ったりしているのですが、アイルランドではあまりそのような状態にならずに、居るだけでリラックス出来て、一人でも夜の街でも安心していられて不思議だなと思っていたのです。
他にも、歩道に全くゴミが落ちていなくて日本並みに綺麗だった事(ヨーロッパはイメージの割に道路が汚れている事が多いので。)
道行く人たちがみんな優しく親切だった事(地図を見ていたりすると積極的にどうしたのと声をかけてきてくれます。ちなみにこういったアイルランド人の親切さや人懐っこさは他の日本人の旅行者の方々も感じるらしく、同じような感想が書かれた発信をいくつも見つける事が出来ました。)
お土産屋さんでケルト音楽を聴いた時に置いてあるCDを思わず買わずにはいられなくなった事(今時分CDとかもはや実家でしか聴けないにも関わらず。)などなど。
何かこう心に響く国だったなぁと思っていたのです。
何年か経ったあと、巨石信仰の本を読んでいると、なんと!
私がアイルランドで見た環状列石(ストーンサークル)と同じ形状の環状列石が秋田県や北海道にもある事を知りました。
これらは縄文遺跡に分類されています。
ちなみに日本ではこの形状の環状列石は今のところ共同墓地だという見解だそうです。
しかし私がアイルランドで聞いた環状列石の意味は日本とは全く異なるものでした。
私が訪れた環状列石は”アイルランド人の心の故郷”と呼ばれる”タラの丘”という場所にありました。
ここには元々運命の石というものがあり、歴代の王様を石が決めてきたといいます。
そして環状列石の真ん中に立っている石に頭をつけたままぐるぐる三周すると”自分の使命が見つかる”という言い伝えがあります。(私も試しましたが実際に三年後に見つかりました)
ケルト文化の象徴として渦巻模様がありますが、日本においても渦巻模様は縄文文化の象徴であり、土器などに描かれているものが多数見つかっています。
アイルランドの流れを持つ作家の小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)氏もケルトと日本の昔話の類似性について指摘しています。
また日本では古来より自然崇拝・アニミズムが盛んですが、ケルト文化でも同じ考え方をします。
その中でも特筆すべきは太陽信仰とヒエラルキー的縦社会ではなくみんなで助け合い調和しながら暮らす円形思想ではないかと思います。
日本でも縄文の頃まではそのようにして暮らしていたと言われています。

↑こちらはアイルランドの環状列石です。

↑こちらは秋田県の環状列石です。
上がレプリカで下が本物です。
画像は大湯ストーンサークル館様から頂きました。
いかがでしょうか。
形がとても似ていませんか?
こういった事を知るにつれ、私がアイルランドで感じた感覚の意味がわかった気がしました。
あのなんとも言えない懐かしいようなあったかいような気持ち。
その理由がこの映画には描かれているのではないかと思ったのです。
日本人は単一民族だと表現される事が多いようですが、古代を遡れば遡るほどそうでは無かった痕跡がたくさん浮かび上がって来ます。
しかしながら日本人の真のルーツについて、遺伝子解析や考古学・地質学が進んだ現代においても確実な事は公にはまだ明らかにはされていません。
その点はケルトの人々も同じです。
ケルト文化と一口に言ってもその中に”島ケルト”や”大陸ケルト”なる言葉があり、両者には違いがあるとの事です。
本国ヨーロッパでも様々な分野からケルト文化について研究がなされて来ましたが、未だケルト人とは一体何者なのかという一致した答えは出ていない様です。
しかし、日本人もケルトの人々も旧石器時代から脈々と受け継がれて来たDNAを保持している事は揺るぎない事実です。
旧石器時代とは一体何であったのか?
なぜこうも民族の出自について長い間様々に意見が割れて錯綜しているのか?
我々は一体どこに何を置いてきてしまったのか。
この映画を見終わった後、そのひとかけらを見つけられたような気がしました。
その②へつづく
コメント