古代の神々を求めて

古代文明

古代文明のことを考える時、神様という存在は切っても切り離せません。
神の国日本と呼ばれて久しいですが、日本に限らず世界中を見渡してみても国が成り立つ時に神様という存在が関わっている場合が多々あります。
いやむしろ地球上の数ある国々を造って来たのは神様達なのかもしれない。
ではその神様達って?
各国に古代の歴史の事が神話という形で受け継がれていますが日本も例外ではありません。
日本には”古事記””日本書紀”(通称”記紀”)という書物があり、これらが日本最古の歴史書だと伝えられています。
そこには日本の天皇家の祖先は神話に登場する神様だと書かれています。
日本を建国したとされる初代天皇の神武天皇の曽祖母が天照大神で天照大神の両親がイザナギ・イザナミという名前で、この神々は高天原と呼ばれる天上界から天孫降臨という形でこの日本の島国に降り立ったというのです。
ではその高天原とは一体どこにあるのか?

神話というものはいつだって曖昧です。
物語の根源的なところを教えてはくれません。
聖書によるとマリア様は未婚で相手も居ないのに処女懐胎し子どもを産んだそうです。
同じような話は日本にもあります。
古事記によると新羅という昔の外国にいた女の人が日の光を浴びて赤い玉を生み、その赤い玉がやがて娘になり大阪の難波に渡って来たのだといいます。
私はこれらの事がずっと不思議だったのです。
なぜこんなにも不確かなものを堂々と伝える事が出来るのか?そこまで熱心に信じ切る事が出来るのか?
その不確かなものの先にこそ人類の本当の歴史が拡がっているのではないのか?
今私は真実を知りたいと願っている。

とは言え、真実というものはこの時代を生きた当人達しか知り得ない事です。
これは芸能界のゴシップやコロナ騒動の発端やトランプバイデン大統領選挙やロシアウクライナ問題において、様々な情報が様々な立場の人から様々な視点で語られていても、実際のところは当人とその現場に居合わせた人達にしかわからない事と同じです。

古代文明の事を探ろうとする時、物理的な面でその真相を立証するのは困難な事だろうと思います。
度重なる戦争や放火などで日本や世界に存在していた貴重な建造物や書物が数多く失われて来たからです。
古くからあるように見える神社仏閣なども宮司さんやご住職さんに起源のお話を伺うと「実はここは一度燃えていて古い時代の事はもう何も分からなくなってしまっているんですよ、保管してあった資料や書物も全て燃えてしまって」と答えられる事が非常に多くあります。
沖縄の首里城においてはなんと過去5回も火災によって焼失しています。
加えて宅地造成・開発などで先人が守り抜いて来た数々の聖地や自然も急速に形を変え失われようとしています。
形あるものがどんどん失われていく中で真相を追求する事は可能なのでしょうか?
目で見えるものが失われているのであれば目で見えないものから情報を得るしかありません。
ではどのように?

簡単である。

心の目で視るのです。
人間には直感力というものが備わっています。
この力を使うのです。
形あるものが失われたとしても魂の記憶までは消すことは出来ません。
その土地に生きた太古の人々の息遣いが残っています。
根付いてきた文化、語られてきた伝承があります。
石木、水、土、空、身体に流れる遺伝子が憶えています。
そういうものから拾い上げていくのですこれまでも多くの先人・学者達が古代の謎に迫ってきた事と思います。
その中でも数々の議論が交わされて来た事でしょう。
ありがたいことに今の時代にはインターネットというものがあります。
このおかげで今までよりも遥かに容易く検証をしたり情報を手に入れる事が出来ます。
昨今は自分の住んでいる地域の歴史について一般的な史実とは違う目線で掘り下げて発信している方も増えて来ていると感じます。
そういう方達の情報と自分が調べている事を照らし合わせてみると、遠く離れた地域で双方とも一般的な史実とは異なっているにも関わらず背景や物語が同じであったりする場面が多々あり、一種の法則性が見出される事があります。
また同じような目線を持った方の本なども図書館に並んでいたりする事もあり、それらを繋ぎ合わせていく事で従来とはまた違った一つのストーリーが浮かび上がる事があります。
加えて、幸か不幸か戦後の宅地開発などにより千年以上も眠っていた遺跡や遺構などが次々と発掘されており、それらによってもまた新たな説が唱えられていたりもします。
いわば今は古代文明研究の黎明期とも言えるのではないでしょうか。
そこで私も古代文明を愛する人間の一人として私の目線から見た歴史の物語を紐解いてみたいと思うのです。

歴史の真実が闇の中にあるとするなら、今を生きる私達がなるべく現実に起きた出来事そのままに、真実に沿った解釈をする事が大切だと感じます。
なぜなら間違った解釈は間違った答えを生むからです。
間違った答えを正しい事だと思いながら進んでいくと結果は苦しいものになります。
本来この世界は喜びや楽しいことで溢れているはずです。
人間同士が争う世界では無いはずです。
起きた出来事は変えられませんが、起きた出来事を正しく知り、それに対してどう受け止めるかを一人一人が考えて決めることが大切で、それによって未来は変わっていくのだと信じています。
その一石を投じられるようにこれからもいにしえの神々の姿を追い求めてゆきたいと思います。


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